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岩田聡前任天堂社長が残した「自分の長所を見つけるには、自分が楽にできることを探すこと」という言葉


2015年7月11日に胆管腫瘍により、京都市内の病院で逝去された任天堂前社長、岩田聡さん。

55才と言う若さで世界各地に衝撃が走りました。

The Life of Satoru Iwata – Gaming Historian

色々な岩田聡さんの話題がありますが、今回はある言葉が話題になっています。

ツイッターより

ツイッターの反応

出典:えいす|学園祭G-15_ド嬢本

いわっちさんは、任天堂の経営難による色々な問題などで、この前に言った言葉と真逆の事を喋る事が後半に多くなり…コメントが叩かれたりもしましたが、個人的には開発中止の危機的状態の『MOTHER2』に参加した時に発した「このまま、今あるものを使って完成させるなら2年かかります。しかし、私に1から作らせてくれるというのなら、1年で完成させます。どちらにします?」と語り、実際に作り上げた時をリアルタイムで学生時代に体感してたので、これだけで全てを許せてしまいますw

今の黒字化、スプラトゥーンの大ヒットなんかを一番見たかったであろう、いわっちさん。。ホントに残念ですね。。横井軍平さんも…何か皆、早すぎる感じです。

Satoru Iwata Tribute

Obituary: Satoru Iwata, the Pioneer Who Saved Nintendo

岩田聡とは ニコニコ大百科より

岩田聡(1959年12月6日 – 2015年7月11日)とは、任天堂の4代目社長である。
通称「いわっち」「電脳部長」「いわたくん」等。

概要

2002年から、2015年に在任のまま逝去するまで、任天堂の代表取締役社長を務めた。

任天堂社長としてはニンテンドーDS、Wiiの2大ヒット商品を世に送り出し、同社を大きく成長させたことで知られる。自ら登場して社の製品を“直接!”解説する広報動画「ニンテンドーダイレクト」や、開発スタッフへのインタビューをこれまた自ら行う「社長が訊く」シリーズなど、社の顔として意欲的に活動する名物社長としてファンから人気を集めていた。
任天堂カンファレンスやゲーム関連の展示会などで、よくプレゼンテーションを行っていた。プレゼンの巧さには定評があり、中継直後のニコニコ動画を初めとして、国内外のサイトで好評を得ている。

それ以外にも、DeNAとの資本提携、健康事業への参入など、任天堂としての新たな試みを多く進めた。

社長就任以前はHAL研究所の社長・スタッフとして、開発に参加していた。優秀なプログラマーとして知られており、開発に関する逸話がいくつも存在する。
なお、現場での開発への参加意欲は社長就任後も強く、「できることならプログラムを書いていたい」と発言したこともある。

出典:ニコニコ大百科

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ポコペン

携帯電話がカラーになる前ぐらいから、『壁紙先生』という待ち受け画面サイトを魔法のあいらんど何かでやってました… 当時を知って居る人が居たら嬉しいな。

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